蛇崩と文学


 

  蛇崩と文学と言えば、歌人佐藤佐太郎(明治42−昭和62)
  が知られています。

  宮城県に生まれ、茨城県で幼少時代を過ごした佐太郎氏は
  大正14年に上京し岩波書店に入社。翌大正15年、アララギに
  入会、斎藤茂吉に師事することになります。

  昭和15年、刊行した第一歌集「歩道」で新旗手として歌壇に
  迎え入れられ、その後も戦後歌壇の第一人者として活躍され
  ました。

  そして、昭和46年、62歳の時にこの蛇崩の地に転居。
  77歳で亡くなるまでの十数年を蛇崩で過ごし、自身の歌集に
  いくつもの蛇崩や蛇崩坂、蛇崩道に関する歌を残しました。
                  


  
「蛇崩の坂の塾柿雨ふれば鳥は来ざらん吾もあゆまず」

  
「衰えて足おぼつかな日ごとゆく蛇崩坂に公孫樹ちるころ」

     
(ともに昭和50年作 第十一歌集 『天眼』に集録)


  晩年の病と闘いながら詠んだ歌には、老いてゆく寂しさを
  感じる作品も多く、蛇崩の風景と相まって心に響きます。

  それにしても蛇崩は坂の多い街です。佐太郎氏が詠んだ
  「蛇崩の坂」とはいったい、どの坂のことを指すのか?
  ご本人がご存命中に、拝聴したいものでありました・・・。


 
   −参考資料 「佐藤佐太郎全歌集 講談社発行」−


佐太郎氏を称えたレリーフ

平成10年10月。蛇崩に於ける佐太郎氏の功績が
称えられ、
蛇崩川緑道の川端橋のたもとに
佐太郎氏の歌碑(レリーフ)がつくられました。






 
そしてもう一つ、蛇崩と文学と言って忘れてならないのが、
 ベストセラーになり、映像化もされた
リリー・フランキー
 の自伝小説「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
 (扶桑社/新潮文庫発行)ではないでしょうか。

       東京タワー 扶桑社  東京タワー 新潮文庫発行


 作品の後半部分に出てくる「オカンと一緒に住むつもりで
 借りた家。オカンが喜ぶと思って借りた家」というのは蛇崩に
 ありました。

 そして、オカンが亡くなった後「蛇崩交差点の酒屋、寿司屋
 から次々に配達が届く・・・」と続きますが、その
“蛇崩交差点
 の酒屋”
というのは弊店、橋本酒店の事であります。



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